今宵も朝まで小躍りしようぜ♪

脈絡なく好きな事を自由気ままに書く雑記ブログ

もしかしてうちも毒親かも知れない?と感じたので書き残してみる①

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最近どこかのテレビで「毒親」という言葉を耳にしました。

 

“毒”というとどっからどう見ても悪!!!というイメージがあるけど、親本人は自分が子供に悪影響を及ぼしている毒親だなんて夢にも思っていない場合が多いと思う。

 

私の母親も、気づけば「毒親」だと思う。

先に言っておくと、私は母親と仲が良いと思っています。

家庭環境の良くない子供時代の話

子供のころから、両親の仲良かった時代を知りません。

普段は無口な父親はお酒を飲むと人が変わるタイプで、外に飲みに行くと父が帰ってくるまで怖くて寝ることができず、帰ってくると布団に潜って寝たふりをしてやり過ごす。

そして、隣の部屋で両親が良い争いをしていたりする。

 

そんな生活が突如終わりを迎えたきっかけが私の高校受験。

地元のすべり止めの私立高校は受かっていて、公立高校受験間近のタイミングで急に他県の高校を受験することになったのでした。

 

無事、合格して高校1年生の春から母と私は神奈川で二人暮らしとなった。

その当時はすごく自由だったように思います。父から解放されたっていうこともあったのかもしれない。

 

私はそのころお笑いライブにハマっていて、出待ちとかして帰りが遅くなっても特に口うるさく言われたことはなかったように思います。

 

祖母との同居で変わり始めた

20代の半ばごろから突然祖母がうちにやってきて、いつの間にかそのまま同居することになってしまった。祖母もまた、とてつもなくわがままな人でかなり自己中心的な人。

 

母も祖母に対していつも気を使っていて、いつも祖母の顔色を気にしていた。

私は祖母に対して気を遣うことはあまりなく自由にやっていたのだけど、そんな私に対して母がイライラするようになりました。

 

母は祖母と二人になるのも嫌だったんだと思う。

私が仕事から帰る時間などをいつも気にするようになった。

社会人なので、急に飲みの誘いがあったりして予定外に帰りが遅くなると途端に機嫌が悪くなるようになりました。

 

ライブハウスに行くのも好きだったんだけど、それも急にふらっと行こうものならまた不機嫌。友達と「打ち上げでオールしよう」と言われても「親がうるさいから。。。」と地元駅からバスがある時間に帰らなければいけない日々。

 

正直、もういい年した大人なのに「親がうるさいから」って帰らなければいけないことの恥ずかしいことったらなかったです。

もしかしたら友達は、さっさと帰りたい口実で言ってるだけじゃないか?と思ってた人もいると思う。私が逆の立場だったらそう思ってたかもしれない。

 

だけどうちの親は本当にそうゆう人だった。

私がちょっと予定外の行動をしたり、思い通りにいかないとすぐ不機嫌になりヒステリーを起こし、ひどいときには一週間くらい口もきいてもらえないことも何度もありました。

 

私にも我慢の限界が来る

祖母の顔色を窺っている母の顔色を窺って生活することにも限界があります。

だけど、同時に母には私しか頼る人もいないということも気づいている。

私に依存しないと生きていけないんだろうと思っていたりする。

 

だから我慢していようと思っていたんだけど、一度我慢の限界に来たことがあります。それは仕事帰りに同僚の人と飲んで帰りが遅くなった日のことで、予定外だったので家の鍵を持って出掛けていなかったので、玄関の前で母に「帰ってきたから鍵あけて」とメールした。

 

祖母が寝てるのでインターホン鳴らさないんだけど、2度ほどメールしたのに母はそれを無視した。きっと私が飲んで帰ることを“事前に聞いていなかった”からだと思う。

 

しばらく玄関の外で待ってたんだけど、開けてもらえる気配がないので急にバカバカしくなって「もういい」と母にメールをして家を離れた。

 

直後に「どこにいるんだ?」とメールが来たけど、今度は私がそれを無視した。

もうバスも無くなっていた時間だし、近所にファミレスもネットカフェもない、何もないところだったのと、なんかもうどうでもいいやっていう気持ちでバス停のところの大きな公園のベンチに座って朝までの時間を過ごした。

 

その朝までの時間でたくさん考えました。

自分がどのように生きたら良いのか。

 

もちろん母は大事だけど、自分の人生も大事

その日、朝まで公園で過ごした私はそのまま会社に行きました。

家に帰ってみると案の定母は“口もききたくないモード”になってました。

 

いつもなら、私がご機嫌伺いをして何事もなかったかのように話しかけたりして徐々に話すようになっていくんだけど、私ももう過度に歩み寄るのをやめ、口きかないからそれでいいという態度をとるようにしました。

 

母のたちが悪いところは、夕飯の時などにわざと私の分を用意しないようになることで、いそいそと夕飯時に出て行って食べさせてもらうって言うのもバカバカしくなったので、母と祖母が夕飯を食べ始めたタイミングで私はコンビニに行って自分の分のお弁当を買いに行ったりしました。

 

今思い出せばどんだけ意地が悪いんだよって思うのと、どんな家庭だよ!!とあきれるばかりですが・・・・・・・・。

 

一番の難関は一人暮らしをすることだけど、一番の解決法でもある

そうゆう依存親を持った子どもにとっての最大の難関は家を出ることだと思います。

私のように母子家庭だったりすると余計に、です。

 

私の場合、祖母が原因で家族がバラバラになる事件(?)があり、母は一足先に同じ市内に住んでいた兄のところに引っ越しました。

私まで一緒に住むには狭い家なのでという理由を付けつつ、そのごたごたに便乗して私は3年ほど前から一人暮らしを始めました。

 

最初はどうなることやらと思ったけど、離れてみたことは大正解でした。

私の家も同じ市内で、割と近いのと愛犬を母に預けてしまっているので何も予定が無ければ毎週末は母と兄のところに泊まりに行ってるんだけど、この3年間では1度も母のヒステリーには遭遇していません。

 

母も、たまにしか会わないから口うるさく言うのはやめようとか思っているのかもしれないし、無意識かもしれないけど同居していた時より親子関係がうまくいってることは確かです。

 

思い切って家を出てみてほしい

難しいと思います。

言い出すのも、オッケーをもらうのも。

 

「人生経験のために一度くらい一人暮らしをしてみたい」とかどうでしょうか。

ハードルが低くなるためには、実家から割と近いところ(隣の駅)などで気軽に帰ってくるということを伝えておくと良いかも知れません。

 

私も、実家から電車とバスを使っても30分くらいで帰れるところに部屋を借りたので「気軽に行き来できる」というのもあってか、スムーズにいきました。

 

まぁ、私の場合は祖母の関係で家を出る必要もあったのでもっと楽だったんですが。。

離れてみて重たい気持ちを抱えて暮らすことも無くなったので、ぜひ勇気を出して家を出てみて欲しいと本当に思います。

 

依存系の親を持つ子の苦しみは、当人にしか理解できないと思います。

普通の家庭の人からしたら、なんでいつまでも実家にいるのか?とか思うかも知れないけど、本当に高いハードルなんですよね。

 

家を出たからと言ってすべてがクリアになったわけではありませんが、やっと自分の一人の時間が持てるようになったと感じています。

 

私は30代になってからやっと一人暮らしができたけど、それでも今が一番楽だと思えるので、同じように悩まれている方がいたら頑張ってほしいと思います。

 

長くなったので、細かいことは今回は書きませんが、時々当時を振り返りながらどのように母親と向き合ってきたかをこのブログに残していこうと思います。

 

それでは、また。