また痛ましい事故のニュースが飛び込んで来ましたね…。
今回も幼い園児たちが犠牲になってしまった。
例の池袋のあの大きな事故の影響で高齢者の事故のニュースが度々流れてくるようになりましたが、事故は日々あちこちで起こっています。
一度「事故を起こしたのは高齢者」と世間が認識すると似たような事故ばかりニュースで取り上げられるだけ。
運転免許の自主返納についても毎日のようにワイドショーで議論されているけれど、そもそも車は凶器だぞということを全年齢に改めて認識させるべきだと思う。
私の身の回りの運転免許自主返納事情
祖母の場合
うちの祖母は祖父が亡くなるまでは田舎暮らしをしていました。
途中までは私たち家族も近所に住んでいたけれど、両親の離婚を機に私たちは川崎に引っ越しました。
田舎なのでやはり車社会で、車が無いと病院も行けず路線バスも廃止になっていたので徒歩で行ける所は近所の小さな小さなスーパーのみ。(スーパーと言えるレベルじゃないくらい小さい)
それでも祖母は70歳を過ぎたくらいで「もう車はやめる」と運転免許を自主返納しました。
当時私は子供でしたが、免許って返せるの!?と思った記憶があります。
同時に、乗っていた車をさっさと処分していて子供ながらにずいぶん思い切ったなぁと感心しました。
車に乗らなきゃ良いだけで、免許をわざわざ返す必要も無いのでは?と祖母に聞いたら
「やっぱり免許を持っていると運転出来ると思ってしまうからもう車を運転しないと決めたら免許は無い方が良い」と言っていました。
最近のワイドショーでは自主返納を勧めると嫌がって揉めるとか、絶対返したくないとかいうことも聞くので30年近く前に自らさっさと免許を手放した祖母は凄かったなぁ…と今になって改めて感じます。
伯母も自主返納するらしい
先月、75歳の伯母も「免許を自主返納する」と言っていました。
伯母は埼玉に住んでいますが、やはり車が無いと不便ではあるらしいけれど最近車を運転していてヒヤッとする事があるらしく、もう車はやめる事にしたと。
何か考え事や悩み事をしていると集中力が落ちるということを自覚したと言っていた。
考え事をしていると、運転に集中しているつもりでもヒヤッとする場面が度々あるそうです。
自覚出来る人はまだ良い
年齢に関わらず、自分の運転が危ないと思う時を自覚出来る人はまだマシだと思う。
運転に自信がある人ほど危ない。
運転は自信を持つものじゃない。
むしろ「私は自信あります!」って人がいるから怖いです。みんなが慎重に運転してくれていれば事故は減るのに。
仮に事故が起こったとしても、今回の滋賀県の事故のように車同士で正面衝突した時にその場で止まれるはず。
正面衝突した上に進路を変えて信号待ちの園児たちに突っ込んでしまうなんて、どうしたらそうなってしまうのかわからない。
きっとスピード出し過ぎていたんでしょうね。どちらの車も。
車同士で衝突する以前に、スピード出し過ぎた状態で交差点に入っていく事がそもそも間違っている。
そうゆう運転をする人は、日々“たまたま事故を起こさなかっただけ”です。そんなドライバーが山ほど走っていると思うと恐ろしい。
車は凶器であると誰もが意識するにはどうしたら良いのだろう
一体何度このような悲しい事故のニュースを目にしたら自分も運転には気をつけようと思えるのだろう。
「また事故のニュースがあったね」なんて自分も話していたはずなのに、明日には加害者になっている。
私も日頃から車は運転する方ですが、乗る度に怖いです。免許を取ってから20年近く経ちますが、今でも緊張します。
少し遠出をした時には体がガチガチに疲れ切って2日は寝込む(苦)
思えば20代前半の頃の方があまりガチガチにならずに平気で渋谷の勤務先に度々車で行ってた気がする。
むしろ20年乗ってくるにつれて、危険を常に意識して乗れるようになったからこそ車が怖いと思えるようになったのかもしれない。
いくらこちらが気を付けて運転してても、ウィンカーも出さずに急に車線変更してくる車もいるし、ギリギリに路地から飛び出してくる車もいる。
その車に対してうっかりクラクションなど鳴らそうものなら煽り運転の危険があるわけで…。
車の運転が怖くない!自信あります!って人は逆に運転して欲しくないです。
いろんな人が通っている道。自分ひとり
が自信あっても事故は起こる。
あらためて、車は凶器だと誰もが認識して欲しい。
高齢者ドライバーばかりを悪とするのではなく、全ドライバーがしっかり意識を改めないと絶対に事故は減らない。
歩行者がいくら気を付けたって、突っ込んで来る車から逃げる事は出来ないのだから。