新元号になって初投稿となりました。最近ブログサボりがちだなぁ。
どうもきよぽーです。
書きたいことは色々あるのだけど・・・
世の中が平成最後!とか令和初の!とか盛り上がっているころ、私が何をしていたかというと・・・ノーマル営業でニート生活を送っていたのですがここ3日はひたすら本を読んでいました。
先日本屋に行ったときに好きな本のシリーズの新刊(3作目)が出ていて、即買いしたのですが、せっかく時間もあるしってことで新刊を読む前に1巻2巻ももう1回読んでからにしよう!と謎のルールを決めて1巻から読んでいました(笑)
わたしは結構じっくり読んでしまうタイプなので再読とは言え相当時間かかるんですよね。ってことで3日まるまるかかったわけですが。
今年はたくさん本を読むぞ!ってことでまだまだ読みたい本が溜まっているのでぼちぼちやっつけていきたい。
誰しもがどこか歪んでいると思っている
ツイッターで「有益ツイート」と発信している人もそうですが、そのツイートが有益かそうは思わないかっていうのは受け取るこちら側の受け取り方次第なんですよね。
自分がうまくいっていないと、“そんなの理想論でしょ”って思ったりもするし、タイミング的に符合することが少しでもあれば“あ~そうそう、なるほどね”って思ったりもするし。
だから自分が納得したことはリツイートなりいいねなりして反応したりするけど(心の中で納得するだけで反応はしないことも多いけど)、そうじゃないツイートに関してはスルーしています。
前職の同僚を見て感じたこと
前職での女性の同僚はとても個性的でした。
それぞれが、自分が正しい・自分は間違っていないと思って仕事しているということはその人の仕事ぶりを見ていてもわかるのですが、私から見るとどうしても納得できないとうか言葉悪く言うと自分がおかしいって気づかないの?って思うことが多々ありました。
その中でひとり例をあげると40近い年齢で、ちょっと上司に注意されたことをパワハラだと騒いで(その会話を隣で聞いてた私にとっては普通の会話だった)デスクで泣き始め、別の社員さんに「泣くならトイレとかで泣きな」と言われてトイレにこもって3時間泣いた人もいた。
その人は午後イチに上司に注意され、トイレに移動して泣いているうちに定時過ぎていた。なので定時で帰る私はその人が戻ってくるところは結局見なかったのだけど、翌朝に「○○さんのせいで昨日は仕事になんなかったよ」と文句を言っていた。
私から見れば、どんなに理不尽なことがあってもいい大人が仕事中に4時間以上も泣いて席外すか?って思ってしまう。席外してるってことは、むしろ当欠したも同然でその分周囲の私たちが忙しくなるっていうのに。
でもその本人はなんら間違ってないと思っている。
いや、間違っていないのかもしれない。
私が聞いてる分には普通の会話でも、本人は本当に傷ついてパワハラだと思ったのだろうし。受け取り方が違うだけで。
相手から見ればきっと自分も歪んでいる
少し前に伯母さんと話しをした時に、みんな自分が一番まともと思ってるけど逆にみんながみんなまともじゃないのかなって思うんだよねって言っていた。
それは祖母の性格と、同居を続けられずに施設に移ることになった経緯について話していたのだが、祖母に関してはちょっと語るには長くなるので機会があれば改めて・・。
(面白くない話なので書かないかも笑)
私も同僚だったり友達だったりを見ていて「ん?」と違和感を感じることは昔からだったので、常々そう感じていたので納得した。
友達は今までの出会いとか別れを繰り返して、比較的価値観が似ている者同士が長く付き合っているのだろうと思うので割と似たタイプだったりするけどそれでも100%同じではなく、ちょっとした違和感はどこかにあるもので、そうゆうときは「あ、この子はこうゆう考え方か」と思ったらそれについては敢えて「私はこう思うけどね!」といわない。
こちらが「ん?」と思うことがある分、きっと相手も同じくらい「ん?」と思われているのだろうな~と思う。それでいいと思う。
人はみんな違うのだから。自分にとっての正義は、あくまでも自分が今まで生きてきて経験したこととか感じたことでできているので価値観が全く同じ人なんでいるわけもない。
だから世の中に100%正しい人なんて存在しないのだと思う。
みんなが正しくて、みんながちょっとだけ歪んでいる。
こんな風に考えるようになったのはここ数年のことで、そう考えたら人付き合いも社会生活もとても楽になった。正しくあろうとしなくてもいい、自分にとって嘘がないように生きていればそれでいい。
いくら“それ間違ってるよ!”と主張したところで、その主張さえも誰かからみたらきっと間違っている。人それぞれで良いじゃない。
気楽に行きましょ!
ではでは!\( 'ω')/